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捨てられない母親の遺品整理

私の母は捨てられない人でした。

定年まで保育士として勤め上げ、定年後も地域の支援センターでボランティアとして子供の面倒を見ていた母。私たち兄弟は、そんな母を誇りに思う一方で、働く母の背中を眺めつつ少し寂しい思いもしたものです。

そして、そんな母の部屋はいつでも書類まみれ。たまに実家に帰っても、兄弟含め誰も母の部屋には近づかないようになりました。

そんな母が昨年88歳で亡くなり、始まったのが遺品整理。最後までしっかりしていた母は通帳、判子など大事なものは兄弟に場所を教えてくれていたので、その辺りは困りませんでした。そして残った遺品は母の部屋に積み上がった大量の書類たち。正直なところ、その山には手を付けず、全て捨ててしまおうかと迷ったくらいでした。

ただ、私は生前の母が、これは大事なものだから絶対に捨てないで!と言っていた書類たちに少しだけ興味がありました。渋る兄弟たちを説得し、その山を少しずつ切り崩します。

最初に出てきたのは、支援センターに通っていた子供たちのプロフィール。それも母の手書きで、"○〇ちゃんはソバアレルギー有り。注意""〇〇くんはママが見えなくなると不安になる傾向"など、子供たちのそれぞれの特徴がびっしり書かれていました。

そして、書類の山を切り崩していくと、定年前の保育園の園児についても同様のプロフィールが出てきました。保育士となって40年以上、母が見てきた一人一人の園児についてのプロフィールがそこにあったのです。
保育士としての母のプロ意識をひしひしと感じる一方、その時の私には、子供の頃感じた一抹の寂しさもありました。

その書類たちを片付け終えると、最後に大きなダンボールが出てきました。そのダンボールには、何度も開け閉めしたような形跡がありました。開けてみると、そこには、私たち兄弟の命名書、産まれた時の手形、足形、母親へ送った拙い手紙、描いた絵、小学校のテスト、夏休みの宿題そんなものが綺麗に保管されていました。さらに中を探って出てきたアルバムには、写真と共に"初めて寝返りをした日""初めて立った日"など、母の綺麗な字で思い出が書き込まれていました。私たちはしばらく無言で、自分のアルバムを読み耽りました。そして、誰からとも無く涙を流していました。

捨てられない母親の遺品たちには、母の大きな大きな愛が詰まっていたのでした。